最低な人生でもあなたとなら(エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス)

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(以下、EEAO)を観た。


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スイス・アーミー・マンの監督兼脚本家であるダニエルズコンビによる作品で、コインランドリーを経営するくたびれた中年女性がマルチバースとの遭遇を経て世界を救う話らしい。こいつは必見だぞと思っていたところ、各映画賞でノミネートされまくっているというではないか。これには困惑した。スイス・アーミー・マンの監督の作品がオスカー候補…?スイス・アーミー・マンは、孤独な青年が無人島で出会った死体が各種便利機能を搭載した屁を操るという筋書きである。ディック・ロングはなぜ死んだのか?のダニエル・シャイナートの作品が…?こちらは、馬を愛しすぎた男たちが愛馬のロングなディックによって仲間の1人を喪う物語である。

そしてEEAOはゴールデン・グローブ賞を席巻し、続いてアカデミー賞の主要部門を総嘗めにした。編集賞脚本賞はともかく、作品賞をとったというので心底たまげた。オスカーをとるのはヒューマンドラマというイメージがあったので、何というか、ダニエルズ作品ならではのトゲがなくなっているのでは…有り体に言えば下品で愉快なユーモアが失われているのではと少し危惧したりもした。

で、観に行ったわけだが、結論からいうと最高だった。最高の映画体験だった。笑いが止まらないシーンがあり、胸を打たれるシーンがあり、最終的には爆笑しながら嗚咽していた。あまりに圧倒的でもう何を話すべきか分からないけれど、作品のテーマについて鑑賞しながら思ったことを書き記しておく。

先述したようにEEAOはマルチバースを扱っているのだが、それがメインテーマというわけではない。おそらく伝えたいテーマは別にあって、マルチバースだの世界線を越えるジャンプだのはあくまでもその道具立てなのだろう(突拍子もないジャンプ台の設定が最高なのは言うまでもないが)。

本作が言いたいことは、絶望にかられた人間――もしかしたら自ら死を選ぼうとしているほどの人間を絶望から救うのは、マルチバースにジャンプするほど困難なことなんだよということだと思う。そしてその人を本当に救うということは、無理やり引き戻すことなんかではなくて、あなたにここにいてほしいという自分の気持ちを正面からぶつけたうえで本人の選択に委ねるということなのかもしれない。ジョイは最後には自分で戻ることを選んだのだ。そして今日を生き延びたとしても絶望が永遠に消え去ることはくて、きっといつかまた別の形で襲ってくる。だけれども、それでも今ここで生きていく。そういう話だったんだと思う。

それと印象に残ったのは、主人公エブリンの夫ウェイモンドによって提示されるメッセージである。主人公の世界線におけるウェイモンドは一貫して弱っちい男性として描かれるが、彼は彼なりの方法でままならぬ現実と戦っている。終盤、ついにそのことに気づいたエブリンは言う。「I'm learning to fight like you(あなたの戦い方を学んでいるの)」と。マルチバースのあらゆる自分からそれぞれの特技を引き出して戦う、なんていうと荒唐無稽かもしれないけど、多分これはもっと普遍的な話なのだ。自己を顧みて、他者の美点を見つけて、それを取り込んでいこうよという。

一言でまとめてしまえば本作は愛をテーマにしているわけだが、終幕まで重要な場面で「愛している」というフレーズが使われないのも趣深い。ジョイがとてつもない犠牲を払ってまでエブリンを追い詰めたのはなぜなのか。あらゆる選択肢で間違った方を選んで最低な人生を送っているのに、それでもあなたとここで生きていきたいと思えるのはなぜなのか。それはあなたを愛しているからなのだとは本作は明言しない。それはきっと、愛が一言で済ませられるほど単純なものではないからなのだろう。

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くだくだ述べてきたがこんな考察は野暮というもので、本能で楽しむべき映画だと思う。かっこいい編集、音楽、どうやったらこんなキャスティングを思いつくのかという配役、そして俳優たちの熱演。下品なユーモアもばっちり冴えわたっている。これが最高の映画じゃないというのなら、その人とは私は旨い酒が飲めないな。