映画版キャッツはジェリクルキャッツを知っているか(キャッツ)

公開から3年が経ち、今更ではあるが、映画版キャッツは各方面から酷評されている。CGが酷いだのキャラクターが不気味の谷に落ちているだのサイズ感がおかしいだの…どれも頷けるものの、こうした諸々は個人的には致命的とまでは感じない。キャストの歌唱は素晴らしかったし、映画オリジナルのユニークなダンスも見応えがあった。キャラデザに関していえば、舞台版の全身タイツだって初見ではギョッとする人もいるだろう。

私が致命的だと感じたのは、ただひとつ、ジェリクルキャッツに対する無理解である。

我が家のミスター・ミストフェリーズ

舞台版の冒頭、案内役のマンカストラップは観客に問いかける―ジェリクルキャッツを知っているか、と。それをきっかけに個性豊かな猫たちが自身の生き様を高らかに歌い、踊る。そして舞踏会が終わる時、その中から選ばれた1匹の猫が天上にのぼることを許される。それがキャッツの筋書きである。

物語を通して我々はジェリクルキャッツの何たるかを知るわけだが、それは言ってみれば自由な精神そのものである。舞台上の猫たちは誰にも媚びず、自分自身を唯一の行動規範として誇り高く生きている。そしてそれは人間のあるべき姿でもあるのではないかということをキャッツは言いたいわけである。物語の終盤、オールドデュトロノミーが、猫たちの生き様は誰かに似ていなかったか?みなさんと同じではないか?と観客に問うことからもそれが分かる。

映画版には舞台版からいくつか改変が見られるが、それらがキャッツの根幹といえるジェリクルの理念にあまりに無頓着になされているように思える。個人的に最も受け入れられなかった2つの変更点を、劇団四季の舞台版と比較して述べたい。

 

第1の変更点はマキャヴィティの描き方である。舞台版マキャヴィティは神出鬼没の犯罪王と称され、猫たちの輪の中に突然現れてオールドデュトロノミーを攫っていく。その動機は説明されないし、そもそもマキャヴィティには台詞がない。なぜ彼が舞踏会を台無しにするのかというと、強いて言えば、彼がそうしたいからである。そのように己の思うままに行動するところがマキャヴィティの魅力でもある。

対して映画版マキャヴィティは非常に雄弁で、とある目的のもとに誘拐を計画・実行する。彼は天上にのぼる唯一のジェリクルに選ばれたいがために、ジェリクルの指名権を持つ長老猫を攫って脅すのである(そもそもオールドデュトロノミーにそのような権力があるのかについては後述する)。

これはいけない。ジェリクルキャッツは権力者に媚びたり脅したりしてはいけないのだ。映画としてストーリー性を持たせるためには悪役が必要だったのかもしれないが、ひょっとすると誰よりも自由な精神を持つジェリクルであったマキャヴィティがこのように改変されてしまったことは非常に残念であった。

 

第2の変更点は、天上にのぼる猫が選ばれるプロセスである。そもそも舞台版オールドデュトロノミーは決して権力者ではない。最後にグリザベラを選ぶのは全ての猫たちである。劇中でずっと他の猫に擦り寄ろうとしていたグリザベラが、ついに1匹で立ち上がって自分の人生(猫生)を歌った後、そばにいた猫が1匹また1匹と彼女に手を差し伸べる。それぞれが彼女の歌に心を動かされ、それぞれの意思で彼女を讃えていることが分かる。そうして猫たちに手を引かれ導かれた先にオールドデュトロノミーがいて、天上に続く階段へといざなう。つまり長老猫は指名の権利を独占しているわけではなく、みんなが認めた唯一のジェリクルの名を宣言する役割を担っているという方が正しい。

ところが映画版では、ジェニファー・ハドソンによる渾身の「メモリー」歌唱後、猫たちが棒立ちになり静まり返る中で、オールドデュトロノミーが彼女を唯一のジェリクルとして指名する。誘拐事件のくだりでもそうなのだが、映画版の長老猫は権威のにおいが強すぎる。長老だけが明確にジェリクルの指名権を握っており、その目にとまることを願って猫たちがアピールする様は舞踏会というよりコンテストである。

ジェリクルキャッツは自由な存在なのだから、権威付けも他人の評価も必要ないはずなのだ。権力者のためではなく自分のために歌い踊るものなのだ。だからこそオールドデュトロノミーが登場する前にジェニエニドッツやバストファージョーンズのナンバーが演じられても物語が成立するわけである(映画版でもここの先後関係は同じ)。

 

他にもミストフェリーズのキャラクターとかグリドルボーンの役割とか納得のいかないところはあるのだが、長くなってしまったしここでは置いておく。ともかく映画版が長老猫に権力を与えて猫たちの間に上下関係をつくり、それに起因する誘拐事件をマキャヴィティに起こさせたことは、キャッツのテーマを大きく損なうものだと思う。

…何だか長々と書いていたら舞台を観に行きたくなって、チケットを予約してしまった。